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 4.2002年4月19日 

 

 

 

激しいトレーニングが終われば、時刻はもう夕方を過ぎていて、
翼はいつもと同じように友人たちと少し遅いMerienda(メリエンダ)を取った。

Merienda(メリエンダ)とは、夕方に食べる軽食の事だ。
スペインでは日本と違い、1日5回食事を取る。
簡単に言えば、朝食・昼食・夕食のほかにおやつの時間が2回あるという感じである。
最近ではその食生活にも変化があるらしいのだが、それでもまだこの伝統的スタイルは根強く残っており、
スペインで出来た友人たちもこの食習慣を基本として動いている。

最初はその違いに戸惑ったが、スペインに来て早1ヶ月。
友人たちに合わせているうちに、段々とその習慣にも慣れてきた。

チーズが挟まれたパンを頬張りながら、流暢なスペイン語での会話が弾む。
笑い声が生まれては消え、そしてまた生まれていく。

 

しかし翼は。
翼だけは、その笑顔の中にいても一人、浮かない表情をしていた。
悲しいとも悔しいとも取れるその瞳は、今にも泣き出しそうで。
けれどそれは、極親しい者でも注意深く見ていなければ分からないほど微かなモノで、
この場にいる友人達は誰一人、翼の変化に気づいていない。
もちろんそれは、翼が場の雰囲気を壊さぬよう注意を払っているからでもあるのだが。

 

 

夢だった世界レベルのサッカーというものを自分の体で感じる日々。
チームでの練習はやはりキツイが、とても充実している。
少し不安だった海外での一人暮らしも、驚くほどに順調だ。

それでも、翼は時折考えてしまう。

足りない、と。

 

遠距離恋愛なんて、平気だと思ってた。
自分の夢を叶えるためには必要な事で、そうなる事が当たり前だと割り切っていた。

 

・・・はずだった。

 

日本を離れて・・・柾輝と会えなくなって一月半。
今までは思い立ったらすぐ会える距離にいたのに、今は会いたくても会えない距離にいる。
それを意識すればするほど、不安だけが募っていく。
眠れない日々が続き、朝が来る度、自分の弱さを実感させられる。

日本にいた頃は、例え会えない日が続こうとも、こんな事はなかったのに・・・。

 

 

最近、こんな事を考える時間が多くなってきている。
トレーニング中は集中して他の事を考えてる余裕がないからまだいい。
しかし、夜という暗闇が近づいてくるにつれ、寂しさという感情がザワめき出す。
それは、瞬く間に体中に広がり、翼の感情を次々と支配していく。
キュウ、と胸が締め付けられた気がして、翼は思わず強く拳を握った。

 

その間、周りでは、一番年上の友人が『昨日息子が誕生日を迎えた』と顔を綻ばせていた。
誕生日というキーワードに、翼と一番仲の良い友人が声を上げる。

「そういえば、明日は翼の誕生日だったよな?」

不意に名前を呼ばれ、翼の意識が現実へと引き戻される。
感情に比例して段々と下がっていた視線も、反射的に上を向く。

「そういえば4月19日って言ってたな。1日早いけどおめでとう、翼!」
「今年で19歳だっけ?若いなー」

一瞬落ち込んでいたのがバレたのかと焦ったが、どうやら翼の異変には誰も気づいていないようだ。
友人達が次々と1日早い祝福の言葉を述べる。

「皆ありがとう。すっかり忘れてたよ」

ワザとらしくならないよう気をつけながら、笑顔で答える。
そして、本当にすっかり忘れていた自分の誕生日という存在を、改めて認識した。

「そうだ!明日練習が終わった後、翼の誕生パーティやらないか?」
「えっ?」

急な申し出に、翼は目を大きくする。

「そんな気遣ってくれなくてもいいよ」
「明日、もう予定入ってるのか?」
「いや、そういう訳じゃないけど・・・」
「じゃあ決まりだ!な?」

強引とも言える誕生パーティへのお誘いに、翼は思わず苦笑する。

とはいえ、別段予定があるわけでもなく、またパーティが嫌なわけでもない。
むしろ、自分の誕生日に友人達がそこまでしてくれるなんて、すごくありがたい話だ。
ありがたすぎて、逆に申し訳ない気もするが、嬉しい事には変わりない。

素直に礼を言い、パーティへの参加を承諾した。

 

それを合図に、早速打ち合わせを始める友人達。
その様子を見ている翼の顔は自然と微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

家に着くと、時計の針はもう23時を過ぎていた。
軽い打合せのつもりが、予想以上に話が弾んだためだ。

馴れた手付きで明かりを点けると、そのままベッドへ身体を預ける。
静かな室内にギシッとスプリングの軋む音だけが響いた。
近くのテーブルに置いてあるリモコンを手繰り寄せ、テレビを点ける。
途端、音のなかった部屋に笑い声が溢れ、一人だった部屋が一気に明るくなった錯覚を受ける。
しかし、順にチャンネルを変えてみても、別段興味を引かれる番組もなく、再び音のない世界に戻す。

はぁ、と短いため息を吐き、目を閉じた。
同時に、先程少し和らいだはずの波が再び押し寄せてくる。

 

不安にならないと言ったら嘘になるけど、信じてない訳じゃない。
高いからいいというのに電話だってしてくれるし、手紙やメールも欠かさない。
昔、メールや手紙は面倒だと本人の口から聞いたことがあるが、どうやら恋人には甘いらしい。
そんな彼を、翼は誰よりも信じてる。

 

ただ・・・だからこそ恋しくなるのだ。

 

機械越しの声や文字だけでは足りない。

彼の姿を自分の目で確かめたい。

彼の温もりをこの手で感じたい。

 

 

会いたい。

誰よりも愛しい彼に。

 

 

閉じた目を隠すように腕を置く。
その先にある掌は堅く握られている。
一切の光を閉ざした暗闇の中、悲愴感が翼を包み込む。

 

 

「マサキ・・・」

 

 

小さな呟きに返答などあるはずもなく。
翼の声は誰に届くでもなく闇へと溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

聴きなれた着信音が静かな部屋に広がる。
いつの間にか眠っていた翼は、寝ぼけた頭で携帯を探す。
依然、目は閉じたままなのでなかなか見つからない。

そうこうしているうちに、鳴り響く音楽がある人物専用のものである事に気づいた。

ガバッと身を起こし、暗闇の中で光る携帯を手にする。
一体どれだけ鳴っていただろうと不安に思いつつ、通話ボタンを押した。

「もしもし?」
『悪ぃ。寝てた?』

聞こえてきたのは耳に馴染んだ音。
一番聞きたかった、アイツの音。
凍っていた氷が溶け出すように、翼の心にもじんわりと温もりが広がる。

「大丈夫。ちょっとウトウトしてただけ」

弾む声を抑えながら答えると、『そっか』と短く返ってきた。

 

何気ない会話。
いつも通りの二人のやり取り。

たったそれだけの事が、妙に嬉しくて。
ずっと強張っていた翼の表情も、次第に緩んでいく。

 

「ところで、そっちはもう朝だろ?学校行かなくていいのかよ」

電話に出る直前、チラリと見えた画面の時計は午前0時頃だったはずだ。
日本との時差を考えると、あちらは午前7時頃といった所だろうか。
毎日早くからサッカー部の朝練があると話していた事を思い出し、疑問に思う。

『今、学校に向かってる所。歩きながら話してるから大丈夫』
「バカ、何が大丈夫だよ。危ないだろ」

まずは年上らしく注意から。
次に、歩きながらという事は時間がないのだと判断し、本題を促す。

「で?こんな時間にかけてくるなんて、一体どういう風の吹き回し?」
『用っていうか・・・翼の声が聞きたくて』

不意打ちで囁かれた甘い言葉に、翼の心臓が大きく波打つ。
カーッと顔が熱くなり、体温が急上昇する。
同時に、誰もいなくて良かったという考えが浮かんできた。
最も、灯りのないこの部屋では気にするだけ無駄であり、単なる気休めに過ぎないのだが。

「・・・キザ」

赤くなった顔を誤魔化すように小さな声で呟く。
『悪かったな』という拗ねた声に、思わず口元が緩んだ。

 

『ところで、今そっち何時?』
「時間?確か夜中の0時頃だったと思うけど」

急な問いかけに戸惑いつつも、先程見た携帯の画面を思い出し答える。

『0時過ぎてる?』
「ちょっと待って」

手を伸ばし、枕元に置いてある目覚まし時計を掴む。
暗闇でも針が見える蛍光タイプの時計だ。
針は綺麗に揃っておらず、長針が少しばかり右にズレていた。

「過ぎてるね。今0時4分になった」
『じゃあ、もう19歳なんだな』
「・・・は?」

先程まで寝ていた頭は、まだ完全に起きてなかったらしい。
言われた意味が理解できず、翼の口からマヌケな音が漏れる。
次の瞬間にはすぐ思い出し、しまったと思ったのだが、それは遅かったみたいで。
受話器の向こうから笑いを堪える声が聴こえてきた。

「・・・言っとくけど、忘れてたんじゃねぇからな」
『へいへい』

翼の精一杯の強がりを、柾輝が使い慣れた方法で受け流す。
二人共、成長するにつれ考え方や発言も随分大人っぽくなったが、
こういう所は中学時代から全然変わっていない。

 

流れゆく時間の中で変わらないもの。
日本とスペインで離れている二人にとって、それはとても心地よいものだった。

 

クックッと喉を鳴らすように笑う声が聞こえる。
いつまでも笑ってんじゃねーよ、と言おうとして息を吸うと同時に、ピタリと相手の音が止んだ。
つられて翼も、喉元まできていた言葉を飲み込む。

 

たっぷり数秒、無音の世界。
そして。

 

 

『翼、誕生日おめでとう』

 

 

低く柔らかい声が翼の耳をくすぐった。

 

 

優しいその音に、不意に涙が溢れそうになる。
その衝動をグッと押し込め、もう一度息を吸う。

「・・・サンキュ・・・」

声が、少し震えた気がした。

 

 

 

 

一番祝って欲しかった人からの言葉は、日付が変わってすぐ貰えた。

一番聞きたかった声は、話しかければすぐ耳元で聞こえてくる。

 

なのに、その声は切なさを煽るばかりで。

機械越しに届く音が、二人の距離を余計遠ざけている様に思えた。

 

 

 

柾輝のいない誕生日。

柾輝と出会ってからの数年間、今まで一度だってそんな事はなかったのに。

 

いつも傍にいてくれた彼に、今は手が届かない。

 

 

 

「マサキ・・・」

堪らなくて、思わず相手の名前を呼ぶ。

『何?』

返ってくる優しい声。

 

 

 

今の二人は、こんなにも繋がっているのに。

今の二人は、こんなにも遠い。

 

 

 

堪えていた感情と共に涙が溢れだす。

 

 

 

会いたい。

 

会いたい。

 

会いたい。

 

 

 

電話越しの声は、彼の声であって彼の声ではない。

もっと近くで、彼の本当の声を聞きたい。

いつもしてくれてた様に、ギュッと抱きしめて欲しい。

 

 

 

泣いているのがバレない様、じっと声を押し殺す。
不自然な無言の間。

柾輝は学校へ向かう途中で、時間も限られている。
正直、こんなのんびりした事をしている暇はないと翼にも分かっている。
分かっては、いるのだ。

しかし、一度溢れた涙はなかなか止まらない。

2年前も、3年前も、そうだった。
いくら泣くまいと思っていても、涙は全然止まらなくて。

でも、最後は絶対、柾輝が止めてくれた。

 

だからだろうか。
翼の中には、確信とも取れる思いがあった。
きっと、マサキがこの涙を止めてくれる、と。

その予想は程無くして当たる事となる。

 

 

 

 

無言の間を破ったのは、やはり柾輝だった。

 

『翼・・・俺、卒業したら"世界"に行くから』

「・・・え?」

『お前との約束、ちゃんと守るから』

「マサキ・・・」

 

 

 

─── 俺たちが目指すのは世界さ ───

 

 

 

中学生の頃、5人で誓い合った約束。
皆、今はそれぞれ違う道を歩んでいるけど、それを恨んでいるわけじゃない。
むしろ、それが当たり前だとも思っていた。
本気で世界に行こうと思っていたのは確かだが、所詮は『夢』に過ぎない。
その『夢』を叶えられるのは、ほんの一握りだけなのだ。

 

だけど、柾輝は。
柾輝だけは、ずっと翼に付いて来てくれる。
中学生の頃の小さくて大きな夢を、今も信じて。

 

柾輝が日本を飛び出してプロになったとして、翼の近くに来るとは限らない。

それでも、柾輝のこの言葉は、翼の心にずっしりと座を置いた。

 

 

 

大丈夫。

 

どんなに離れていても、心はこんなにも繋がっている。

 

 

 

「待っててやるから、絶対、世界に来いよ」

いつもの調子で返す翼の目に、涙はもうなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっと強くならなければと思った。

 

泣ける強さをくれた彼のために、今度は泣かない強さを。

いつも僕を支えてくれる彼を、今度は僕が支えるために。

マサキが大人になった時、胸を張って会えるように。

 

 

きっとまた、不安になる事はあるだろう。

寂しさで眠れない夜だってあるに違いない。

 

 

でも、今こんなに苦しいのは、それだけマサキの事が好きだからだと、

マサキを信じているからこそ寂しくて不安になるのだと、分かったから。

 

 

きっとマサキとなら大丈夫。

 

今までよりもっと強く、そう信じる事が出来た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年4月19日。

 

恋が愛に変わった日。

 

 

 

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第一話に引き続き、いつか書いてみたかったシリーズ第二弾。
柾翼遠距離恋愛編です。

『一段落して慣れてきた頃に襲ってくる不安』がテーマ・・・・・・のつもり。
そういう不安を乗り越えて、何の確信はなくともお互いに大丈夫って思えたら素敵だろうなと思う。

(2008・11・23)

 

 

ばっく