1.1999年4月19日 

 

 

 

1度目の電話は僕から。

 

4回目のコール音の後、「はい」という低音が耳に届いた。
昨日も聞いたはずの声に、まるで悪戯がバレた子供のように体を強張らせる。
緊張感が体中を包み込み、喉がコクリと音を立てる。

「翼?」
返事のない相手を不審に思ったのか、名前を呼ばれる。
その声に促されるよう、考えていた言葉を出しかけるが、既の事でその言葉を飲み込んだ。
代わりに、思惑とは全く別の言葉を口にする。

 

「ごめん。間違えた」

 

その声は、自分でも驚くくらい普通だった。

 

 

なのに。

 

 

2度目の電話は向こうから。

 

通話を切ってすぐ、手に持ったままの携帯が鳴り出した。
数秒戸惑い、深呼吸をしてから、再び通話ボタンを押す。

「・・・もしもし」
「今どこ?」

いつもより少しトーンの低い声で尋ねられ、思わず押し黙る。

先ほどの動揺がバレてない自信はあった。
自分でも驚くほどいつも通りだったんだから。
だけど、コイツは電話をかけてきた。

 

『何で?』なんて聞かない。
そんなの、コイツには聞くだけ野暮だと思うから。

 

もう一度同じ質問を繰り返す声に、今度は素直に自分の居場所を告げる。

「動くなよ」と一言。
後にはプーップーッという機械音だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

公園のベンチに座り俯いていると、頭上に人の気配を感じた。
閉じていた目を開き、相手に視線を合わせる。

少し息切れしてる様子からして、走ってきてくれたのだろう。
僕の家からは近いけど、マサキの家からは少し遠い、この公園まで。

スッと缶コーヒーを差し出され、無言でそれ受け取る。
少し冷えた掌にじんわりと熱が広がった。
マサキが横に腰掛けるのを待ってから、小さく礼を言った。

 

「今日、家族と食事っつってなかった?」

最初の会話は、普通の話題。
予想通りとはいえ、話の核心を突かれなかった事に、やはり少し安心してしまう。

「もう終わったよ。今何時か知ってる?」
「9時半くらい?」
「10時10分前。中学生が出歩いていいと思ってんの?」
「高校生だって同じだろ」
「16歳未満と16歳以上とじゃ違うんだよ」

眉をひそめてみせると、「へいへい」と、いつもの調子で流された。

 

このまま何も言わなければ、恐らくコイツは何も聞かずにいてくれるだろう。
黒川柾輝とはそういうヤツだ。

正直、話したくないと言う気持ちは大きい。
理由を話すと言うことは、自分の弱さをさらけ出す事になるから。

けれど、誰かに聞いて欲しかったというのも本当で。
何も言わなくても、コイツには今まで泣いてた事なんかバレバレだろうから。

 

深く、一つだけ、ため息を落として。

 

重い口を開いた。

 

 

 

 

 

 

また、涙が一筋零れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも仕事が忙しくてあまり家にいない両親が、今日は珍しく早く帰ってきた。
家族揃っての外食なんて本当に久しぶりだ。

テーブルの上には、豪華な料理の数々。
自分と向かい合うように両親が座り、隣には大切なハトコ。

 

「翼、誕生日おめでとう!」

 

祝いの言葉と共に、グラス同士がぶつかり高い音を響かせる。
16歳の誕生日祝いとしては派手すぎるその演出に、少し戸惑いながらも素直に礼を言う。

「ありがとう。でも、いくら誕生日とはいえちょっと豪華すぎない?」

僕が尋ねると、父さんと母さんは微笑みながら顔を見合わせ、チラリと玲に目配せする。

 

「実はね、もう一つお祝いがあるの」

母さんが言うと同時に、玲が持っていたグラスをテーブルに置いた。
次に僕の方へ向き直り、ゆっくりと話し出す。

 

「あのね、翼。私ね、今度─────

 

 

 

 

 

 

 

 

────結婚、するの」

 

 

 

 

 

 

 

 

頬を薄紅色に染め、幸せそうに微笑む彼女を見て、頭の中が真っ白になった。

頭が混乱する。
胸がザワめいているのが分かる。

 

「へ・・・ぇ、そうなんだ。おめでとう!玲」

動揺を悟られないように、笑顔で祝いの言葉を紡ぎ出す。
玲も、ありがとう、ともう一度嬉しそうに笑った。

 

 

 

その笑顔に、目の前が暗くなるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

説明の途中から、自分でも何を言いたいのか分からなくなった。

何度も詰まりながら、それでも、話すのを止められなくて。
一度溢れた涙も、話せば話すほど止まらなくて。

全て話し終える頃には、涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。

 

 

僕の話が止まるのを確認すると、それまでずっと黙っていたマサキがようやく口を開く。

 

「告白、したんだろ?」

思いがけない質問に、思わずマサキを見る。
前を向いたままの相手を確認し、もう一度俯く。

 

「・・・なんで?」
「アンタの事だから、多分言ったんだろうと思って」
「何だよ、それ」

マサキらしい言い分に思わず笑みが零れる。

 

 

「・・・『ありがとう』って・・・」

「そっか」

 

 

ポンポンと頭を撫でられる。

いつもなら怒る所だが、今日はその温もりが、すごく、心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼い頃の二人の約束。

 

 

『僕、大人になったら玲と結婚する!』

『ありがとう、翼。じゃあ、大人になったら迎えにきてくれる?』

『うん!約束する!』

 

 

子供の頃の小さな戯言。

よくある話。

大抵は大人になってから懐かしく思い出すだけで終わってしまうけど。

 

 

 

好きだった。

あの頃からずっと。

 

本気で、大好きだったんだ。

 

 

 

好きだと伝えたら、あの頃と同じ様に『ありがとう』と言ってくれた。

そして、『ごめんね』と・・・。

 

 

たったそれだけの言葉で、この想いを諦めきれるはずはない。

 

けれど。

玲が、すごく幸せそうだったから。

『幸せになってね』と、精一杯の笑顔を作った。

 

 

 

玲の前で思いっきり泣けたら、どんなに楽だっただろう。

例え結果は変わらなくとも、その瞬間だけは、僕だけを見ていてくれる。

 

 

 

でも僕は、泣き喚いて困らせるほど子供にも、

ましてや、僕が幸せにすると、自信を持って言えるほど大人にもなれなかった。

 

 

 

それでも誰かに聞いて欲しくて、思わずマサキにかけた電話。

 

何も言わずとも、ここまで来てくれた事が。

 

ただ、傍にいてくれた事が、何より嬉しかった。

 

 

 

弱い所をみせるのはあまり得意じゃないけど、

お前の前だと、不思議と素直に泣けるから。

 

 

 

 

だから今は、今だけは、このままもう少しだけ泣かせてくれ。

 

 

 

 

 

明日も玲と、笑顔で会えるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1999年4月19日。

 

僕の初恋が終わった日。

 

 

 

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初めての翼→玲。
文庫本を読んでから、いつか書いてみたいと思ってた翼の失恋話です。

(2008・4・17)

 

 

ばっく