Call Your Name
アレンとラビが一緒に朝食を取るのはいつもの事だが、その日は珍しく、その輪の中に神田の姿があった。
それ以外は何も変わらない、いつもと同じ朝食風景だ。
いや、『だった』といった方が正しいだろう。
あの瞬間までは。
「ユウ、ちょっとそこのソース取ってください」
大盛りパスタを平らげるアレンの、何気ないこの一言で、食堂全体が凍りついた。
それもそのはず。
『ユウ』と呼ばれた張本人、神田ユウは下の名前で呼ばれる事を嫌っていて、
いつもラビが『ユウ』と呼ぶたびに六幻を振り回しているのだ。
教団内ではまだ仲がいい方だろうラビですらそうなのだから、
会えばいつも喧嘩しているアレンが『ユウ』などと呼ぼうものなら一体何が起きるか分からない。
つまり、今アレンが何気なく口にした単語は、爆弾などという可愛いものではなく、超特大の原爆を投下した様なものなのだ。
次に起こるであろう惨劇を思い浮かべ、皆恐怖に顔を引き攣らせる。
・・・が、予想に反し、神田の怒鳴り声が聴こえる事はなかった。
しかし、代わりに聴こえてきたセリフに、皆、自分の耳を疑った。
「それくらい自分で取りやがれ。バカアレン」
記憶が間違っていなければ、アレンは神田を『神田』と、神田はアレンを『モヤシ』と呼んでいたはず。
一体この二人に何が起こったというのか・・・。
「ケチ」「うるせぇ」と言い合う二人を横目に、皆、誰か理由を知らないかとお互いに目を合わせ確認しあう。
もちろん、食堂全体が凍りついた時点で誰も知らないのは明白ではあるのだが。
「ユウもアレンも一体どうしたさ?いつもはお互い絶対に名前なんて呼ばないじゃんか」
ギャラリーを代表してラビが尋ねると、理由を聞き逃さぬよう、食堂は一気に静まり返った。
食堂内の視線が、神田とアレンに集中する。
「え・・・っと」
場の雰囲気に圧倒され、アレンがモゴモゴと口篭る。
もう一人の当事者である神田は「貴様に話す筋合いはない」と完璧に無視を決め込んでいる。
神田は当てにならないと、再びアレンに注目が集まる。
「たいした理由じゃないんですが・・・」と、もう一度口篭ってから、アレンは説明を始めた。
◇
事の発端はいつもの喧嘩だった。
毎度お馴染みになってきている神田のモヤシ発言に、その日もアレンが食って掛かっていた。
最初はいつもどおりの喧嘩だったのだが、本日5回目のモヤシ発言が飛んだところでアレンの堪忍袋の緒が切れた。
「もうあったまきた!僕の名前はアレンだって何度言えば分かるんですかこのバカンダ!!」
「ふん。お前なんかモヤシで十分だろ」
「あー!またモヤシって言った!1ヶ月くたばらなかったら名前覚えてくれるって言ったじゃないですか!」
「覚えてやるとは言ったが、呼んでやると言った覚えはねぇ」
神田の屁理屈に、アレンはさらにカチンとくる。
「そんな事言って神田、ひょっとして僕の名前覚えてないんじゃないんですか?」
周りの人間は皆自分を『アレン』と名前で呼ぶ。
したがって、否応なしに覚えているだろう事は少し考えれば分かるはずだが、何しろ今は喧嘩の真っ只中。
そして、売り言葉に買い言葉。
今のアレンにはそれだけ細かく考えている余裕はなかった。
「てめぇじゃあるまいし、んな訳ねぇだろ!」
「じゃあ僕の名前言ってみてくださいよ!ほら、さんはい!」
「ふざけるな!そういうてめぇこそ俺の名前ちゃんと言えるのかよ?」
「それくらい言えますー!てか何勝手に問題すり替えてるんですか!卑怯者!」
「人に言わせるくらいならまず自分が見本見せろって言ってんだよ!」
「そんな事言って神田の場合、名前呼んだら呼んだでまた怒るじゃないですか!」
「そういうお前こそ、んな屁理屈ばっか言って本当は覚えてないんじゃないのか?」
「はいはい、ストッープ!そこまで!」
今にも飛び掛らんばかりの二人を止めたのは、コムイだった。
「こんな廊下の真ん中でそんな大騒ぎしない。他の人に迷惑でしょ?」
痛い所を指摘され、さすがの二人も無言になる。
しかし、熱くなってきたところを止められた二人の顔はまだ、苛立ったままの表情をしている。
そんな二人とは裏腹に、コムイはリナリーに入れてもらったコーヒー片手に、ニコニコと楽しそうに微笑んだ。
「騒いだ罰として、二人には罰ゲームをやってもらいます!」
「「はぁ!?」」
コムイの突拍子もないセリフに、二人の声が見事にハモった。
呆気に取られる二人を余所目に、コムイが勝手に話を進めていく。
「確か名前がどうとか言ってたから・・・よし!明日1日、お互いちゃんと名前で呼び合うこと!神田くんは『アレン』、アレンくんは『ユウ』ってちゃんと呼ぶんだよ」
「ぶざけるな!何で俺がこいつの名前なんか呼ばなきゃいけねぇんだ!」
「神田はともかく、何で僕まで神田の名前呼ばなきゃいけないんですか!」
罰ゲーム云々よりもまず、その内容が気に食わず、二人が思いっきり不満をぶつける。
しかし、そんな抗議も何のその。
コムイは軽くスルーすると、さらに言葉を続けた。
「顔合わせないようにするのはなしだからね。罰ゲームなんだから。あ、どうせなら明日ずっと一緒にいるってのも追加しよっか!」
「人の抗議をちゃんと聞け!!」
「何で余計なルールまで増やしてるんですか!」
ギャンギャン吼える二人に、ふとコムイの視線が鋭いものに変わる。
「 室 長 命 令 だよ。破ったら・・・どうなっても知らないよ?」
「「うっ・・・」」
「先にうっかりいつもどおりの呼び方しちゃった方は女装して教団内一周だからね♪」
「「はぁぁぁぁ!?」」
◇
「・・・と言うわけです」
「はぁ・・・」
一通り説明を聞き終わったラビは、力が抜けるのを感じた。
一体どんな凄い事があったのかと思いきや、フタを開けてみれば何てことない、コムイから言い渡された単なる罰ゲームだったのだ。
「しかも酷いんですよ、コムイさんってば!ほら、見てくださいコレ!」
スッとアレンが自分の右腕を前に出す。
白い腕首には黒い金属製の腕輪がはめられていた。
よく見ると、腕輪型の通信機のようだ。
「通信機か?コムイがコレでアレンたちの事見張ってるさ?」
「えぇ。おまけに、お互い半径5メートル以上離れると軽い電撃が流れるんです。
しかもぜっっっっったい外れないし!!一体何で作ってあるんですかコレ!」
「お、落ち着くさアレン」
話しながら熱くなってきたアレンを、必死にラビが宥める。
アレンは手に持っていた水を一気に飲み干すと、ふうと一息ついた。
「コムイも面倒な事させるさぁ。災難だったな、二人とも」
「本当にもう、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだか・・・。ユウのせいですからね」
「勝手に人に責任を押し付けるな。てめぇも同犯だろ」
「はぁ・・・もう嫌だ。か・・・ユウと一日ずっと一緒だなんて耐えられない」
「同感だ」
場はすっかり険悪ムードになってしまった。
しかし、そこへラビが鶴の一声を落とす。
「どっちかが女装する事になれば一緒にいなくて済むんだろうけど、そういう訳にもなぁ」
「「それだ!!」」
「・・・へ?」
「そうですよ。ユウが女装すれば何も一日一緒にいなくたっていいんじゃないですか」
「それはこっちのセリフだ。てめぇが女装しやがれ」
バチバチと見えないはずの火花が二人の間に散る。
この瞬間からまさに二人の本当の意味での戦いが始まったのである。
◇
「ユウ、この野菜何て名前でしたっけ?」
「あぁ?モヤシに決まってるだろ。そんな事も分かんねぇのかよ、このバカモ・・・アレン」
「おい、これ何て書いてあるように見える?」
「かん・・・『かんた』って書いてあるんじゃないですか?あ、もしかしたら『た』は『だ』かもしれませんけどね」
そんなツマラナイ・・・いや、本人達にとっては真剣な争いも、半日が過ぎた頃にはお互いネタ切れになってくる。
ずっと緊迫した雰囲気のままだったのだ。
二人にも疲れの色が見える。
一先ず一時停戦とでもいうべきか、二人は談話室で一息ついていた。
「なかなか勝負つかないですね」
「てめぇが観念しねぇからだろ」
「女装するだけならまだしも、教団内一周ですよ?そう簡単に負けられません」
「俺だってんなもん死んでもごめんだ」
それだけ言葉を交わすと、再び口を閉ざす。
変わりに、はぁという二人のため息だけが残り、談話室は一気に静まり返った。
と言うのも、朝の食堂での説明以来、この二人の行く所は二人の名前呼びの不自然さに耐え切れず逃げ出す人が絶えないからだ。
現に今も、昼過ぎの談話室といえば人が集まる最適のスポットだが、二人がいる事で最初にいた人たちは皆部屋から出て行ってしまい、結局二人だけが残っている。
チラリと神田の横顔を見て、アレンは本日十数回目のため息をついた。
正直、ここまでくると勝負はつかないのではないかと考えてしまう。
最初は言い慣れなくて何度も『神田』と呼びそうになったが、半日も言い続けていれば否応なしに慣れてくる。
むしろ、明日になっても思わず『ユウ』と呼んでしまうのではないかと思うくらいだ。
とはいえ、自体はもはや『どっちが先に間違えるか勝負』になってきている。
今更やめる訳にはいかないし、負けるつもりもない。
さて次はどうしたものか・・・。
「おい」
「はい?」
策を考えていると、神田が話しかけてきたので反射的に返事をする。
次の瞬間、急に目の前が暗くなった。
暗くなる前、最後に見えたのは神田の綺麗な顔。
そして、次に降ってきた唇への柔らかな感触。
あまりに急すぎて、アレンは何が起こったのかすぐに理解できなかった。
とりあえず、目が慣れてきてから最初に見えたのも、やはり神田の顔だった。
自分の視界には今、神田のドアップしか映っていない。
そして唇に触れるこの感触は・・・。
状況を理解すると同時に、アレンの顔が真っ赤に染め上がる。
まだ幾分か混乱しているが、アレンは急いで神田を押し戻そうとする。
しかし、体格差もあって神田の体はビクともしない。
それどころか、逆に座っているソファの上に押し倒されてしまった。
それと同時に口付けも、優しいものから激しいものへと段々変化していく。
「・・・はっ・・・ん・・・」
息苦しさに耐え切れず、アレンから僅かに声が漏れる。
どんどんと神田の胸を叩き、精一杯の抵抗を試みるが、その腕もあっけなく神田の手によって塞がれてしまう。
熱く、激しい口付けに、アレンの抵抗も段々少なくなっていく。
実際には精々1〜2分の出来事だっただろう。
しかし、アレンにはその時間がとても長く感じられた。
アレンの抵抗が全てなくなった頃、ようやく神田は唇を離した。
ソファの上のアレンは、ほんのりピンク色に頬を染め、少し潤んだ瞳で神田を見つめてくる。
やっと自由に呼吸が出来るようになり、はぁ、はぁ、と肩で息をしている。
その様子を見下ろすように、神田がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「・・・かん・・・だ・・・?」
アレンが尋ねると、フッと満足そうに微笑み、再び顔を近づける。
反射的にアレンはギュッと目を閉じたが、想像していた感触は降りてこなかった。
変わりに、今度は耳元へと低く囁く声が降ってくる。
「てめぇの負けだ。アレン」
『負け』という二文字に、急速に頭が回転し始める。
そうだ。自分たちは今、コムイから言い渡された罰ゲームの真っ最中だったのだ。
そして、自分の口から出てしまった『 か ん だ 』という言葉は、まさにアレンの敗北を意味している。
「ぎゃぁぁぁぁ!何言わせるんですか!このバカンダー!!!」
「油断してたてめぇが悪いんだろ」
「だからってあんな・・・・・・んぅ!!」
猛抗議するアレンの口を、神田が再び塞ぐ。
今度はあんなに長いものではなく、軽く言葉を途切れさせる程度に。
「・・・何でまた・・・こんな・・・」
「うるせぇ。てめぇがいつまでもそんな顔してんのが悪い」
「は・・・?一体何言って・・・・・・」
「もう少し黙ってろ・・・・・・アレン」
今日散々言われ慣れたはずの神田の言葉に、アレンの心臓がドクンと跳ね上がる。
その声は、嫌味を含んでいるわけでもなく、また、わざとらしい感じでもなく。
今までで一番、優しい声だった。
じっと見つめてくる神田の視線に、アレンはそっと目を閉じた。
勝負は終わったといえども、通信機はまだ繋がっていて、二人の会話はコムイに駄々漏れだったとか、
後日アレンが女装姿で教団内を歩き、危ない思考に走った輩が数名いたというのはまた別のお話・・・。
FIN
日記の方で突発的に書いた駄文。
最後の終わり方に無理やり感がものすごく垣間見える。
(2008・4・11)