※ 死にネタ注意 ※

 

 桜 

 

 

 

「神田!!」

教団の広い廊下に、女性特有の甲高い声が響き渡る。
それがリナリーの発した音だと理解する前に、神田の身体は地面へと引き寄せられた。

目前の白いタイルが赤く染っているのを見て、漸く口内に鉄の苦みがじんわりと広がる。
息をする度ヒューヒューと頼りない音が漏れ、その耳障りな音がより一層胸の苦しさを広めていく。

打ち付けられた体に痛みが走るが、朦朧とする頭はまだ状況を理解できずにいる。

それでも反射的に起き上がろうとするのだが、身体はまるで鉛のように重く、
タイル同様に赤く染まった指先は、痺れて感覚がない。

 

「神田!大丈夫?しっかりして!神田!」

駆け寄ってきたリナリーが肩を揺すりながら必死に声をかける。
神田も答えようと口を開くが、息が漏れるばかりで声になる事はなかった。

 

次第に声が遠ざかる中、薄れゆく視界に一片の花弁が映る。

開け放したままの窓から入ってきたのだろう。
まるで踊っているかのようにゆっくりと宙を舞っている。

 

薄い淡紅色をしたそれは、忘れかけていた記憶の底をくすぐった。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの桜を二人で見たのはいつの事だっただろうか。

 

 

あの日はよく晴れていて、空はとても澄んだ色をしていた。

花見の話なんて一体どこから仕入れたのか、
アイツが突然俺の部屋にやってきて、「お花見しましょう」と言い出した。

団子好きのアイツの事だ。
恐らく花見自体というより、花見団子の方に飛び付いたのだろう。
その証拠に、手には大きな弁当箱がいくつも入った袋が握られていた。

その姿があまりにアイツらしくて、思わず噴出したのを覚えている。

 

花見と言っても、さすがに日本まで行く訳にはいかないので、中庭に咲いている一本の桜
─── 日本から来た俺の為にティエドール元帥が植えてくれたものだ ─── の下で花見をする事になった。

日本にいた頃は、この季節になると弁当片手に近所の桜を見に行くのが恒例だった。
しかし、教団に入ってからは任務が忙しく、一度として見に行った事はない。

あの桜は今でも変わらずに咲き誇っているんだろうか。

 

柄ではないと思いつつも、そんな風に感傷に浸りながら歩いていると、
中央に一際目立つ淡紅色が見えてきた。

見つけるや否や、「お先に」と言って一足先にアイツが駆け出した。
出会った頃から比べ少しは体も成長したというのに、
こういう所はいつまで経ってもガキのままだったなと、今更ながらに考える。

少し呆れ気味に俺も後を追いかけると、アイツは桜の木を見上げたまま立ち尽くしていた。

 

「モヤシ?」と、声をかけようとして目に入った色は、

たった一本ではあるが、ちょうど見頃を迎えたその色は、

淡く、そして儚く、しかし、とても力強く咲き誇っていて。

 

思わずため息が漏れた。

美しさに圧倒されるとは正にこういう事を言うのだと思う。

 

 

ヒラヒラと舞い散る花弁の中、

「綺麗ですね」と、ふんわり笑うアイツは、

 

 

まるで、

 

 

桜のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・くん!・・・だくん!」

自分を呼ぶ声に目を開けると、コムイが心配そうに覗き込んでいた。

「良かった。目が覚めたみたいだね。僕が分かるかい?」

白い照明に目を細めながら、神田が「あぁ」と短く答える。

 

見慣れた白い天井。
ガラス張りの壁。
重苦しい医療機器。
自分の体に付けられた何本もの細い管。
ピッ、ピッ、と鼓動を刻む機械音。

まだ少し頭が朦朧とするが、自分の現状を知るには十分だった。

目が覚めるとこんな状態だったのは、これで何度目だっただろう。
ここ最近だけでも、神田には嫌というほど思い当たる節がある。

 

「コムイ・・・俺は・・・ 「しばらく、安静にしてた方がいい」

神田の言葉を遮るようにそれだけ伝えると、コムイはそっと席を立った。

去りゆく背中に手を伸ばそうとするが、体は未だ思うように動いてくれない。
聞きたい事が聞けない歯痒さと、思うように動けないもどかしさに、思わず舌打ちをする。

 

何とか首だけ動かし、周りを見渡すと、ガラス張りの壁の向こうにリナリーとラビの姿が見えた。
会話までは聞き取れないが、二人の近くでは医療班の面々が深刻な顔つきで言葉を交わしている。

そこへ、先ほど席を立ったコムイがやってきた。
リナリーとラビがすぐさま近寄り、コムイに詰め寄る。

 

コムイが小さく口を開いた直後、リナリーがその場に泣き崩れた。

 

一連の流れを見ていた神田は、やはりな、と小さく呟いた。

 

 

 

もし今アイツがこの場にいたのなら、アイツはどうしただろう。

 

リナリーの様に涙を流してくれるだろうか。

それとも、諦めが早すぎると怒るだろうか。

 

今は亡き笑顔を思いながら、神田は再び目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────僕は・・・桜になりたい」

 

 

ジェリー特製弁当を平らげた後、アイツがポツリと呟いた。
また頓珍漢な事を言い出しだなと思う俺を無視して、話は続く。

 

「この木は神田の故郷から来たんでしょう?」

「あぁ」

 

スッと立ち上がり、舞い散る花弁を掴もうと手を伸ばす。
しかし、花弁はアイツの手から逃れるようにするりと滑り落ちていく。

 

「前に桜は日本を思い出すから好きだって話してくれたじゃないですか」

「だから?」

 

問い返すと同時に立ち上がり、アイツと並ぶ。

頭に付いていた花弁を取ってやると、少しだけ目を細めて。

 

 

「桜になって・・・神田の故郷に・・・なりたいんです」

 

 

頬を桜色に染めながら、アイツは笑った。

 

いつもの、あの笑顔で。

 

 

 

 

 

 

 

 

静かだった医療質に、けたたましい警告音が鳴り響いた。
音源を確認すると同時に、医療班が慌しく動き出す。

 

「神田くん!聞こえるかい?神田くん!」

ガラス張りの室内に、コムイの声が響き渡る。
繋がれた機械から聞こえる音に、コムイの顔も自然と険しくなる。

異変に気づいたラビとリナリーも神田の元へ駆け寄ってきた。

「ユウ!なぁ、起きろよ!ユウッ!!」
「・・・んだ!・・・お願い、目を開けて・・・っ」

二人の必死に呼びかけに、神田が薄っすらと目を開く。

 

「ユウ!?」
「神田!?」

ボロボロと涙を零す二人を見ながら、神田は声を絞り出した。

 

「・・・何・・・リナリ・・・泣か・・・てん・・・だ・・・バカ・・・サギ・・・」

そして、大丈夫だとアピールするように、ワザと口の端を少し吊り上げて見せる。

 

「リナリー泣かせてるのは・・・ユウの方さ!・・・ちゃんと・・・後で・・・リナリーに謝れよ!
 逃げようと思っても・・・そうは・・・いかねぇからな!」

「・・・そうよ・・・神田が・・・っ・・・っく・・・」

 

二人も真似て笑おうとするが、涙が邪魔して上手く笑うどころか、話す事すら儘ならない。

代わりにギュッと、二人で包み込む様に、冷えた神田の手を握った。

 

「・・・痛・・・んだよ・・・バ・・・カ・・・」

 

 

少し笑って、そのまま重い瞼を閉じると、

いつもの笑顔がそこにあった。

 

 

 

・・・ありがとう・・・

 

 

 

「・・・ユウ・・・?おい、ユウッ!!」

「兄さん!神田がっ!!」

 

 

 

 

その声はもう、神田の耳には届いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来るべき時が来たのだと思う。

 

しかし、心は驚くほど落ち着いていて。

不思議と恐怖はなかった。

 

 

 

目の前には淡く儚い、そして力強いアイツの笑顔。

 

 

 

まるで桜の花弁のように消えてしまいそうなアイツを、

一体何度抱きしめただろう。

 

 

その度アイツは「大丈夫、僕はここにいます」と、

いつものように笑いかけてくれた。

 

 

 

 

俺の還るべき場所。

 

 

 

 

 

そろそろ眠ろうか。

 

桜になりたいと言った、アイツの隣で。

 

 

 

 

 

 

 

 

なぁ、アレン。

 

 

 

 

 

 

───── 君に還る ─────

 

 

 

 FIN 

 

 


神田さんの寿命が尽きる時のお話。
ちなみにアレンくんは1年くらい前に亡くなってる設定です。

(2008・3・20)

 

 

ばっく