月光夜
先ほどまであった雲が流れ、綺麗な円形が姿を現す。
窓から降り注ぐ月明かりに、長い黒髪が照らし出された。
暗闇に浮かび上がるその漆黒は、とても美しく見える。
しかし、その下にある黒い瞳は、戸惑いの色を表していた。
いや、憤っていた、と言った方が正しいだろうか。
いつも目の敵にしている彼の様子がおかしいのだ。
方舟の奏者とか、久しぶりに師匠に会ったとか、
原因は色々あるだろうが、そういう事ではなくて。
現に今。
神田が眠れなくて病室を抜け出したように、恐らく彼も眠れなかったのだろう。
病室へ引き返す途中、向こうから近づいてくる彼が目に留まる。
しかし、擦れ違い様、神田と目が合った彼は。
挑発するでもなく、はたまた無視するでもなく、
こともあろうか猛ダッシュで逃げ出したのだ。
教団に戻ってから彼はずっとこんな調子だ。
方舟にいる間はいつも以上に煽ってきてたのが、まるで夢だったかの様に。
会えば喧嘩ばかりしているのだから、これはこれでいいのかもしれないが、
逃げられた側の人間としてはやはり面白くない。
神田は、チッと軽く舌打ちすると踵を返し、遠ざかる白い影を追った。
幸いにも、空に浮かぶ満月が一層彼の色を引き立たせており、見失う事はない。
しかし、チョコマカと逃げるその背中は、どこまでも白くて。
この月光の中に溶けてしまいそうだと感じた。
◇
かれこれ15分もした頃。
ようやく神田はその白い腕を捕らえる事に成功した。
二人は元いた場所から離れ、中庭まで来ていた。
昼ですら人影の少ないこの場所は、月が高く上った真夜中ともなると生き物の気配すら感じない。
「モヤシ!!」
ぐいっと腕を引き、正面から向き合う。
しかし、俯いたままのその表情は、頭半分ほど上からは読み取れなかった。
腕を掴まれてなお、音を発しない彼に神田は蟠りを隠せない。
「一体何なんだよ、てめぇは!人の事分かりやすく避けやがって!
方舟の中じゃウザイくらい煽ってきやがったくせに、何が『言葉のキャッチボール』だ!
出来てねぇのはてめぇの方じゃねーか!」
あれだけ走り回った後でよく叫べたものだと、自分でも感心しながら一息つく。
が、やはり彼からの返答はない。
いまだ俯いたままの彼は、一体今どんな表情をしているのだろうか。
ふいに、そんな好奇心が神田の中に湧き上がる。
「モヤ・・・ 「・・・っ神田が!!」
発しようとしていた声も、屈もうとしていた身体も、
全てが彼に止められる。
真っ直ぐに見つめてくるその瞳には、涙が浮かんでいて。
神田は、思わず息を呑んだ。
「神田が・・・普通だから・・・」
「あぁ?」
続いて出た言葉の意味を捉えきれず、神田が聞き返す。
「方舟が、消えたら・・・みんないなくなるんじゃないかってすごく不安で・・・
でも・・・みんな生きてて、すごく嬉しくて・・・」
途切れ途切れだが、それでもしっかりと言葉を紡ぎだす。
恐らく必死に堪えていただろう涙が、その声と共に零れ落ちた。
神田はただ静かに、次の言葉を待つ。
「なのに神田は・・・いつもと全然変わらなくて・・・
何聞いても・・・誤魔化してばっかりで・・・
僕ばっかり心配して・・・バカみたいじゃないですか・・・」
あぁそうか、と神田は納得した。
目の前のこの少年は。
どんなに力があろうとも。
どんなに大人びた発言をしようとも。
まだ、ほんの15歳で。
神田が彼が溶けるのを恐れるように、
彼もまた、神田が漆黒の闇に捕り込まれるのではないかと怖かったのだ。
掴んだままだった腕を開放し、今度はそっと、その細い身体を自分の腕の中に閉じ込める。
「・・・っ!離してください!」
振り解こうと必死でもがく彼の耳元で、優しく彼の名を呼ぶ。
「アレン」
ビクッ、と肩を躍らせ、彼の動きが止まる。
普段は絶対に発音しないスペルを、もう一度、ゆっくりと声に乗せる。
「アレン」
優しく、強く、回した腕に力を込める。
「・・・神田は卑怯です・・・」
それに応える様に、ギュウッと神田の背に腕が伸びる。
「勝手に消えたりしたら許しませんからね」
彼の瞳から、もう涙は消えていた。
対称的な白と黒の影は溶け合うことなく、互いに寄り添う。
優しく降り注ぐ月の光にさえ溶けてしまいそうな彼が消えないように。
光も届かぬ漆黒の闇に彼が捕り込まれないように。
もう二度と、離れる事のないように。
FIN
カノンちゃんからのリクエスト小説。
まだDグレにハマってない頃だった為、神田の性格をほぼ知らないまま書いたという何とも思い切った1品。
(2007・11・11)